B級映画監督、髙橋亨の「シネマ愚連隊 Blog」へようこそ!!











カテゴリ別ログ_交通事故日記
交通事故  2005年04月03日
交通事故について少し書くとまったく覚えていないと言うのが本当のところである。
よく記憶がなくなると言うが記憶がなくなったのかはたまた最初から覚えがないのかそれさえもわからない。

後から聞いた情報によると停車しているダンプにバイクで突っ込んだと言うことだか突っ込んだ記憶もないし「危ない」と思った覚えもない。

バイクなので居眠りというのはないと思うがどこか別なトコを見ていて前方をきっと見ていなかったということだろう。
映画やドラマじゃないけど走っていて気づいたら病院と言った感じだった。

もしあのまま死んでてもそれはそれで痛くも痒くもなく一瞬で行けたのでよかったのかも・・・と思ったり(爆)いやいや、あくまでも苦痛と闘いながら死ぬよりはと言うことですよ(笑)。

病院の医者に起こされ
「手術をしなければならないのでサインをくれ」だの
「肉親の連絡先を教えろ」だの
言われたのは記憶にある。
そのときに肋骨、鎖骨、左指が骨折し横隔膜が損傷し内臓が移動していることなど告げられて
「手術すれば助かる」
と言う医者の言葉をしっかりときいた。

その後、全身麻酔をかけられ手術をしたのではないだろうか。

そして次の日ぐらいに医者からまた起こされる。
「麻酔は切れてるはずだから起きてください」
とたたき起こされる。
「眠いから寝させてくれ」
と思ったが何度もたたき起こされる。

その時、起きてから段々と現状がつかめてきたといった感じだ。
どうやら自分は大事故にあい救急車で運ばれて手術をして助かったのだと。

集中治療室にて仰向けのまま固定され口には人工呼吸器の管が入っていてこりゃ大事だなと実感した。
もしかしたらこのまま寝たきりなのか?
顔面を叩きつけ見るも無残な顔になっているのではないか?
と不安がよぎるが手術前の医者の言葉がなんとなく救いとなる。

救急車の中のことをなんとなく思い出した。

救急隊員たちが「自爆だよ。自爆」って話してたのを(爆)。

そうか、自爆だったのかあ。
痛みとかはまったくなかったので以外と冷静な自分がいた。

そんなこんなでなんとか生き延び入院生活が始まったのである。

高度救命医療センター  2005年04月13日
前回、集中治療室って書いたけど実際はもっと激しい高度救命医療センターという場所でした(救命医療24時みたいなところ)。
その高度救命医療センターにいたころの話を少し書きます。
高度ってのが凄いね(笑)。

大手術を終え目覚めたらベッドに寝たきり状態。
身体から何本も管が出ていて人工呼吸器は喉までしっかりと入っていて喋れないし動けない。
ホント寝たきり状態ですよ。見える世界は天井とその周辺のみ。
マジやばいかなとも思いましたよ、さすがに。

脊髄をやってれば一生寝たきり、もしくは車椅子。
そうなった場合、現実を受け入れちゃんと生きていけるのか。
言うは易し行うは難し。とはまさにこのことだ。
生まれつきの人はまだしも途中でそうなったらなかなか運命を受け入れるのは厳しいんじゃないかなあ。
だぶん一瞬にして死んだほうがよかったと思うだろうなあ。

幸いして医者に「足腰は問題なし」と言われ取りあえずは一安心。

しかし長かったなあ、高度救命医療センターでの一日一日の時間は。
時計もないし。ずっと寝たきりですから。
寝返り打つにも看護婦さんを呼んでやってもらわないと一人では出来ない。
風呂も入れないので身体も隅々まで看護婦さんに拭いてもらってて・・・あんなとこまでこんなトコまで(爆)

看護婦さんて本当に大変な仕事だよな。とつくづく思う。
男の看護師さんもいたりしてしかも柏原崇似だったりしてドラマみたいで面白かった。
看護婦さん(女性の看護師と書かねばいけないのかな・笑)も若い可愛い子が多くてうれしかったですよ~~
「ナースのお仕事」とかみて「あんな美人の看護婦ばかりいる病院なんてあるわけない。タレント事務所か!テレビドラマってリアリティねえよな」と粋がっていたが間違いだった。
現実あるんだなあ~
ま、大怪我を負い介護されてる寝たきり患者からしてみれば、みんな笑顔で接してくれて優しさバリバリオーラが出てるから実際はそれほど可愛くなかったにしても何割り増し・・・いやいや、ホント可愛い白衣の天使たちでしたよ(マジ)。

・・・てこんなことばかり考えている自分は脳味噌の方はバリバリ元気なのだなとつくづく思ったのでした(笑)。

つづく
高度救命医療センターには2月1日に事故ってから10日ぐらいまでいた。

その間、寝たきり状態は大変でした。
全細胞に指令を出したね。とにかく復元しろと(笑)

ずっと同じ位置で寝たきり状態だと床ずれを起こすので寝返りを打つのだがこの寝返りさえも一人では出来ないので看護婦を呼ぶ。

毎日(昼夜)担当の看護婦さんは変わるので最初は誰が誰だかまったくわからなかったけど二度来ると前にも来た人だなあと段々顔は覚えていくもので、でも名前を覚えるのが苦手なのであの人は柏原崇だとかモー娘の加護ちゃんだとかメガネちゃんだとか勝手に名前をつけていた。
加護ちゃんとメガネちゃんは可愛かった(爆)。

しかしやはり高度救命医療センターは昼夜あわただしかった。
常に救急車でバンバン運ばれてくる。
しかも、死ぬか生きるかの人ばかり。
ドラマじゃないけど「お母さん、お母さん」と泣きじゃくる声が聞こえてきたりしてそれはもう凄かったですよ。
でもドラマと違ってどこでも日常なんですね。
向こうの方で泣いてる人がいるかと思えばこっちではサッカーの話して笑ってる人もいるし。

いやホントすさまじいですよ。
メガネちゃんの話によると無茶苦茶仕事が大変らしく「同期はみんな辞めていった」とのこと。
メガネちゃんも加護ちゃんもみんな若い。21、2じゃないかなあ。
よく見たら高度救命医療センターの看護婦さんは若い人が多い。
若い体力のある看護婦さんじゃなきゃ勤まらない現場でもあるし生半可な気持ちのやつをとっとと辞めさすために新人をココに送り込んでいるのかもしれない。
そう考えるとメガネちゃんも加護ちゃんもホント立派だよ。

「髭剃り苦手なんですよ~」と笑いながら髭をきれいにそってくれるメガネちゃんにちょっとメガネっ子萌えな37のオヤジでした(爆)。


つづく
高度救命医療センター3  2005年04月20日
だんだん病院での記憶もなくなりつつあるので早く書かねばな(笑)

でも忘れることないだろう記憶はたくさんあります。
なんせ初体験なことばかりでしたからね。



最初は点滴だけで飯を食えなかったんだけど、おもゆと林檎ジュースとかから食べられるようになる(正確には飲めるようになる)。
おもゆはまずかったが林檎ジュースはうまかったなあ。

その後、おもゆがお粥に変わる。
そしておかずも出始める。

お粥もあまり旨いとは思わなかったがおかずはうまかった。

最初はなかなか手が使えなかったので看護師さんが食べさせてくれた。
でも男の看護師だったよ。

「すいませんね。男で(笑)」

とか言いながら食わせてくれたがいやいや、感謝感謝ですよ。ホント。

でも食わせてもらうのも忙しい中、大変だしとにかく、自立せねばと自分で食い始める。
幸い、点滴の為に固定されていた右手はもう自由なのでね。

しかし、お粥はまずかった。
早く白い飯が食いたいとこんなに思ったことはなかったね。

そして、やっと、白い飯まで辿りつく。

旨かったよ、白米(笑)。

量は多くてそんな食えなかったけどホントうまかったよ。
あのときのご飯は・・・



そして入院して何日後だったか忘れたけど、ずっと、便が出てなかったんだけど出たよ(笑)。

でも、それは、人生でなかなかないベッドで糞を垂れるという初体験。

と言っても寝糞じゃないよ。

看護婦さんに言って「簡易便器」とやらを用意してお尻に当ててもらい便をするのです。

しかし、しかし・・・
それが、前に書いた可愛いメガネちゃんだったので、おじさんは恥ずかしかったよ(爆)。

大量の糞を放ち(爆)可愛い白衣の子にお尻まで拭いてもらうとは平常だったらなんちゅー行為やねん!!


「人として終わった・・・」


と思っている俺様にメガネちゃんは笑顔で

「よかった~ 便が出てよかったですね。ホントよかった」

と言ったのでした。

そうだった。
俺は胃と腸が横隔膜を突き破り肺の方まで移動し、腹を切り正位置に戻したばかりだったんだ。

飯を食い、糞を垂れると言う一見、当たり前の行為も内臓が健康に機能してるからこそ成り立つというもの。

糞が出たということは、移動した胃も腸も正常に動き始めているということ。

しかし、メガネちゃんたちあんたらナースは凄いよ。
偉いよ。尊敬するよ。

そして・・・ホント、感謝するよ。



つづく

前回、食事をした話を書いたがその前までは人口呼吸器を喉の奥の方までつけられていて飯を食うどころか声さえも発せられない状態であった。

全身麻酔の場合、肺など呼吸器も停まってしまうらしく人工呼吸器をつけるらしい。

肺以外の手術の場合は術後、割とすぐ外されるらしいのだが自分の場合は肺にも損傷があったので機能回復を確認するまで呼吸器がつけられたままだった。

喋りたくても喋れないと言うのはホント面倒なことである。

筆記ですよ、筆記(笑)

それよりも何よりも嫌だったのが呼吸器をつけていると痰がたまってくるらしくそれを取らなければいけないので呼吸器に吸引のノズルを突っ込んで吸い取るわけだけどそれが痛いのなんのって(泣)


「痰取りましょうね~」


って看護婦さんがくるのがホント嫌だったよ・・・




そんな中、2月の11日にB級ランダムさん主催の上映イベントでうちの「激突大パニック」の上映が決まっていたのだけどまだ作品の受け渡しが済んでなくどうしたものかと考えたすえ、とりあえず母親が付き添いで田舎から出てきていたので


「『激突大パニック』と言うビデオを自宅から持ってきてくれ。そして石川さんをここによんでくれ」


と筆記にて伝える。


石川謙さんは最近では役者としてバンバン活躍中ではあるが「激突大パニック」ではプロデュースもやってくれていた。

その石川さんをココへ呼びビデオを渡し、ランダムさんへ届けてもらうしかない。そう考えたのである。

数日後、石川さんがやってくる。

基本的に高度救命医療センターへは親族しか入れない。
しかし親族と同伴でだったらなんとかなったようだ。

石川さんは相変わらずの髭面顔に殺菌された水色の上着とキャップを被って寝たきりの自分の前に現れた。

その格好に思わず笑った(笑)。

幸い、その直前に呼吸器は外せたので喋ることは出来た。

「『激突』のテープを」

と言うと母親がすかさず、



「激突って自分がダンプに激突大パニックじゃ。ねえ、石川さん」



と一発笑いを取りやがった。




そんなこんなでビデオを石川さんに受け渡し、ランダムさんへの受け渡しもうまく行き11日の上映もなんとかなったのである。

メガネちゃんのことばかり書きましたがもう一人のお気に入りの看護婦さんにモー娘の加護ちゃんに似た子がいました(笑)。

まだ新人らしくオドオドしたところもあったのですが寝返りを頼むとき、腰にタオルを挟んで高さを調整してくれるわけだけど何故か加護ちゃんのやり方が一番楽で他の看護婦さんの時は


「加護ちゃんみたいにやってくれよ~」


と何度思ったかしれません。
いやはや、寝返りも一人で打てないとはホント寝たきり老人の気持ちが痛いほどわかりましたわい。


あと、呼吸器を外したあと、酸素吸入器を鼻からつけるのだけど鼻詰まりの自分はそれをつけてると鼻水はでるは、寝るとき、口をぽか~んと空けて口で呼吸するもんだから、吸入器が酸素不足と判断しピーピー警告音を鳴らし寝てられない。


「鼻で呼吸してくださいね」


と先輩看護婦は言うけど寝たら制御なんて出来ないって。
口で息するやつは口で息するって。

なんど説明してもなかなかわかってもらえなかったのだけど加護ちゃんは


「これじゃ寝れないですよね。吸入器を外していいか先生に聞いてみますね」


と親身に先生に電話してくれたりしたのでした。






そんなある日、便も出たと言うこともあり、遂に高度救命医療センターから一般病棟へ移ることになった。
一般病棟のベッドが空いたとのことで急遽だった。

先生と看護婦さんたちにベッドごと運ばれていく俺。

その日は柏原崇もメガネちゃんもいなかった・・・

ベッドを運んでくれている一人に加護ちゃんがいた。


「高橋さん。一般病棟に移れてよかったですね」


と加護ちゃんの声がした。

それに答えたかったが俺は天井を向いたまま。

一般病棟に着き、病棟の看護婦さんたちにベッドごと引き渡される俺。

気が付いたら加護ちゃんたち高度救命医療センターの看護婦さんたちはもうそこにはいなかった・・・







追記・・・

一般病棟での試練  2005年04月30日
高度救命医療センターから一般病棟に移ったのは事故から10日が過ぎたころだろうか。

一般病棟の病室は4人部屋のいわゆる大部屋の病室といった感じて何かあればナースコールで看護婦を呼ぶと言った極普通の病室だ。


ベッドのマットが硬い・・・


まずそう思った。
それだけ救命センターのベッドは寝心地がよかったと言うことだ。

しかも自動で上半身を起こす機能がついてない。

まだ一人で半身を起こすことさえ出来ない自分はこの先、このベッドでやっていけるのか。

そこへ、病棟の看護婦さんがやってくる。

ちょっと、ヤンキー風だかベテランと言った感じの20代後半のおねえちゃん。


「これがテレビのリモコン。テレビはカード式だから。消灯は9時。これがライト。ここにナースコールあるから。なんかあったらこれで呼んで」


むむ。違う。あきらかに違う。ここはもう高度救命医療センターではないのだ。
ただの一般病棟なのだ。
優しかったメガネちゃんも加護ちゃんももうここにはいないのだ。

意を決してヤンキーねーチャンに声をかける。


自分「・・・あ、あのう」

ヤンキー「ん?」

自分「あの・・・ベッドが自動で起き上がるやつじゃないんすか?」

ヤンキー「ああ。これ手動式だから。言ってくれれば動かすよ」

自分「いや、いままで自動で自分で起こせてたから。そう言うベッドは・・・ないですよねえ」

ヤンキー「・・・」

自分「・・・」

ヤンキー「自動の方がいい?」

自分「ま、まあ」


と自分が言うと何も言わず病室から出て行くヤンキーねーちゃん。

大部屋といってもカーテンで仕切られたせまい一角でボーと天井を見ているしかない俺。



暫くすると数名の看護婦仲間をつれて戻ってくるヤンキー。


自分「?」

ヤンキー「ベッド変えるから」


と言ってベッドごと廊下にだされ、数名に抱きかかえられベッド移動。


晴れて一般病棟に数えるしかない自動式のベッドをゲット。

ヤンキーも優しい奴だったんだな。


そこへ食事が運ばれてくる。

自動で半身を起こす満足げな俺。

しかし、食事に箸がついてない。


自分「あの。箸がないんすけど・・・」

ヤンキー「箸? 箸、持ってきてないの?」

自分「救命センターでは割り箸ついてたから」

ヤンキー「ここはアソコとは違うよ」

自分「は、はい」

ヤンキー「今日は割り箸あげるけど、自分で買ってきてね」

自分「は、はい。どうも」


割り箸を取りにいくヤンキー。やっぱり、怖い。

「買って来い」ってまだ歩けないし・・・






この先、どうなるのやら。
一般病棟は人としての復帰の第一試練なのか・・・






つづく



病棟エロ日記  2005年05月04日
一般病棟二日目。


なんとなく慣れてきました。

二日目の担当の看護婦さんは美人ですがちょっとツーンとした感じの人でした。

一般病棟の看護婦さんは高度救命医療センターに比べ少し年齢層が高く20代後半と言った感じで
それなりにベテランという落ち着きがありました。

でも、可愛いくて優しい子もいましたよ。石原さとみ似の子や若槻千夏っぽい子とか(爆)






おいおい。よく考えたらこれって闘病日記じゃなくて「看護婦」のことばかり書いてるエロおやじ日記じゃねーか、ただの!!!


ブログのタイトル「豪快エロ監督 Blog」に変えますか???



それとも



「エロ巨匠の戯言」(爆)





看護婦さんばかりでなく先生方にもホントお世話になりましたよ。

即、大手術をしなければ呼吸困難で死んでたわけですから緊急オペを無事にやってくださった先生方にも感謝するしその後のケアでお世話になった研修医の方々にもホント感謝です。


研修医といえば・・・


美人研修医がいましたよ!!!!! 

マジ美人でぴっくり。ドラマかと思っちゃいましたよ。

どんな美人かって言うと・・・・





おっと、と、またエロ患者日記に(泣)





でもその美人女医が来るたびに「採血」されちゃうんですよ。
血を吸い取られちゃうわけです。

美人女医には会いたいが血は吸われたくない。

吸血美女に恋心を抱く男の恋愛ドラマとか書けそうです(爆)



しかも


「お腹から取りますね~ 痛いですよ~ ごめんね~」



て、あ、いや、ソコもう、お腹じゃなくて、「 毛 」 なんすけど・・・






看護婦さんには拭かれるは美人女医には見られるは・・・

自分の辞書に「羞恥心」と言う文字がなくなりつつある日々でした(泣)






・・・・ああ、やっぱ、次回から「エロ巨匠の戯言」かな(爆)





そうそう。一般病棟に変わったと言う事でたくさんの方々がお見舞いにきてくださいました。

その節は本当にご心配おかけし本当にありがとうございました。

入院生活ってホント暇ですよね。日々毎日、「誰か来ないかな~」ってずっと思ってました。

誰か来たらこんな話をしよう。あんな話をしてやろうと常にネタ考えてましたね。

「改造人間」ネタとかね(笑)



皆様。ご来場まことにありがとうございました!!!(爆)





つづく


尿道快感  2005年05月07日
一般病棟に移ってからは便は車椅子に乗って看護婦さん付き添いでトイレまで行きすることになる。

いつまでもベッド上で簡易トイレを使い糞を放ち、下の世話までしてもらってるわけにもいかない。

便器で糞を放つ。段々、人としてまともになってきたのうと感慨にふける。




しかし尿の方はまだ尿道に管(カテーテル)が入っていて垂れ流し状態。

アソコからぶっとい管が出てるの見るとゾッとしますよ。マジで。


「これ。どうやって入れたんだ?」って。


入れる時は全身麻酔だから記憶にないが抜くとき痛くねえの?

麻酔とかすんのかな?

誰がどうやって抜くんだ?

頼む。痛くしないでくれ!!!!!




一般病棟3日目ぐらいかな。

朝、トイレに行くとき、付き添いの看護婦さんが


「今日、抜いていいらしいですよ~」


とのこと。遂に今日、抜くのか?


誰が抜くんだ? ま、まさか、美人女医じゃねえよな(爆)


いらぬ妄想を描きたてながら便器に腰掛ける俺。


「終わったらナースコールで呼んでくださいね」


と出て行く看護婦さん。

無事、糞を放ち、ナースコールで看護婦さんを呼ぶ。


「今日、担当します○○です。よろしく~」


と笑顔で入ってくる若槻千夏似の看護婦。

カワイイ。


「あ、高橋さん。もう抜いていいんですよね。じゃ抜きますね」


え、えー、え? 看護婦さんが抜くの??? しかもカワイイあんたが???

こんなトコで。こんなトコってどこだ、いったい!? いや、ソコはダメ・・・

と思った瞬間、若槻千夏にモノをギュッと握られる俺。


ちょ、ちょ、ちょっと、待ってよ~~~


笑顔で「大丈夫ですよ。大丈夫ですよ~」を連発する若槻。


「大丈夫ですよ~」って「病院へ行こう」の薬師丸ひろ子じゃないんだから!!


た、た、助けてくれ~~~



スポッ



あ、・・・抜けました。


痛くなかった。



薬師丸ひろ子と言えば・・・

やっぱり、オチは、





「カ・イ・カ・ン」で(爆) 








つづく
「クララが歩いた!!」  2005年05月09日
一般病棟4日目ぐらいだろうか。


「トイレまでだったら歩いてよし」と言う許可が出た。


しかし、人というのは何日間も寝たきりだとなかなか歩くことすらまともにできない。

約2週間ぐらい寝たきりで歩いていない。


ベッドから起き上がるのを若槻ちゃんに手伝ってもらう。

足はなんともなってないのでなんとか立ち上がることは出来た。

しかし、左腕が使えないのと身体の傷の違和感がありなんとも変な感じ。

今まで寝たきりだったので身体が重力にまだなれていない。

若槻ちゃんに付き添われ一歩一歩ゆっくりと歩いてみる。

視点がうまく定まらない。フワフワした感じ。

老人のようにゆっくりとしか歩けない。


「大丈夫ですか」


と若槻ちゃん。


「大丈夫だけど変な感じ」


とにかくゆっくりでも歩いて馴れていくしかないようだ。

一歩一歩少しづつ・・・



若槻ちゃんの目が優しく心配しつつも「よかった」と言う目をしている。

まさに「クララが歩いた!!」の時のハイジの目と同じ目でした。






クララじゃなくておやじだがな(爆)。






つづく


尿道からカテーテルが取れたことにより普通のパンツを履いていいことになる。


て、じゃ今までノーパンだったのかよ!!!!


とお思いのみなさん!! 違います。









「オムツ」



だったのです・・・(泣)


この歳で「オムツ」を履く(つける)とは夢にも思いませんでした。


しかも、看護婦さんにオムツ交換されるとは・・・とほほ。


別にもらしたりしないんだからパンツでもいいじゃんてな感じですが寝たきり状態の人間はいざって時に間に合わなかったらとの配慮なのでしょうか。




おむつも取れ右腕も普通に動き、歩くことも出来るようになってくると退院も近いかなと思ったりする。

近いうちに完全復活。すべて元通り。楽勝!! 楽勝!!





しかし、そんな時、初めて術後の腹の縫い傷を目の当たりにする。

腹の傷を見たときはさすがの楽天家の自分もちょっとへこんだね 
_| ̄|○

ヘソのあたりから左脇のあたりまで「て」の字にでかく傷がある。

まるででかいムカデのようだ。

特殊メイクみたいだかメイクなら剥がせば取れるがこれは取れない。

内臓や骨折は段々と回復してきているがこの傷は一生消えない。

ウルトラ一族のように傷まできれいさっぱり消えることはないのだ。

野郎だからまあいいけど女の子のだったら相当ショックだろうなあと思う。

ビジュアル的には相当厳しいものがある。

「一生抱えて行かねばならぬ腹の傷」なのだ。



しかもそのときはまだ気づかなかったのだけど、この傷は「見た目」の問題だけではなかった。

でかい縫い傷だけに突っ張り感や引きつり感が凄い。違和感は術後、2、3ヶ月たったいまでもずっとあるしこれは一生あるものだという。
馴れるしかないようだ。ま、2、3年もそれが当たり前になっていけばなれるということなのだろうがそれでも冬になると痛んだりするらしい。


でもまあ、この縫い傷は致し方ないものだ。ここを切って内臓の大手術をしなければ死んでいたわけだし、もし腹じゃなく背骨をやっていたら一生「クララ」は歩けなかったかも知れないんだからそう考えると、ま、由とするか。



若槻ちゃんに背中を拭いてもらいながら腹の傷を見てつい、


「・・・この傷すごいよね」


とポツリと漏らしてしまう俺。そうすると若槻ちゃん、


「いや、きれいですよ。きれいきれい。でもまあ、初めてみるとびっくりしますよね。でも縫い跡としてはきれいにくっついてる方ですよ。ホントきれい」


と落ち込んでいる自分を慰めてくれた。ありがとう、若槻ちゃん。







思い出すだけでも涙でモニターが見えません(爆)



(つづく)
ヤンキー看護婦再び  2005年05月17日
一般病棟一週間目。

だいぶ普通に歩けるようになり人としてまともになってきた。

しかし、左鎖骨と左手には金具が入っていていつ抜けるのやら。
(5月現在いまだに鎖骨には金具が入ったまま)

内臓の方は極めて順調のようだが骨は結構かかるみたいだ。

鎖骨は中で見えないが左手指の金具は半分から3本突き出ているので見るとすごい。

普段は包帯でグルグル巻きにされているので見ることはないが2、3日に一度、担当の医師が消毒にくるのでそのときはそれを目の当たりにする。

左手は固まったまま、動かない。ちゃんと、動くようになるのか心配。





今日も担当の若手医師と研修医の美人女医が消毒にやってきた。

包帯を取りいつものように消毒をしながら若手医師が女医に、


若手医師「さっきの看護婦さん絶対、ベテランだよね」


女医「え? そうですか。新人のバッジしてましたけど」


若手医師「してたけどありゃベテランだよ」



普通に職場での会話。こんなとき、患者はボーと聞いているしかない。

前に大腸の病気で病院に行った時なんてもっとひどかった。

人のケツにカメラ突っ込みながら研修医と

「今年の忘年会の場所について」

話してたもんな~~



そこへ、看護婦さんがやってくる。


若手医師「(小声で)あ、来た」


やってきたのは一般病棟初日担当のヤンキー看護婦だ。


沈黙の中、消毒作業は進む。


若手医師「(ヤンキーに)あ、○○ガーゼあるかな?」


ヤンキー「ないっすよ」


若手医師「ないの?」


ヤンキー「はい。ないっす」


若手医師「ホントに?」


ヤンキー「ええ。ホントに」


若手医師「どうしても(ないの)?」


ヤンキー「ないっすよー。前から言っててくれれば取り寄せておくけど普段から置いてるもんじゃないすから」


若手医師「ああ、そう・・・」


女医「・・・」


俺「・・・」


沈黙が続く。近くで行われている工事現場の音だけで聞こえる。


若手医師「(看護婦に)新人じゃないよね?」


ヤンキー「え? なんでですか?」


若手医師「いや、新人バッジしてるけど」


ヤンキー「ああ。ここでは新人ですから。前に別な病院いたけど」


若手医師「ああ。やっぱり。ベテランだと思ったよ」


ヤンキー「なんでですか?」


若手医師「いやあ、違うよ。違う。全然違うよ」


ヤンキー「そうすかねえ~」


女医「(笑っている)」





なんとなく若手医師とベテラン看護婦の力関係を見た昼下がりの病室だった・・・(笑)





つづく
入院中一番よくしてくれたのはやはり、看護婦の若槻ちゃんだ。

皆さんよくしてくれたのだけど若槻ちゃんは特によくしてくれた。

可愛かったからそう思うのだろうって?(笑)

そうでもない(ちょっとあるかもだが・笑)。

石原さとみ似の子も可愛くて優しかったけど担当以外のときは廊下ですれ違っても挨拶もしてくれない。

まあ、もちろん、忙しいわけだし基本的に人見知りだったのかもしれないが。

その点、若槻ちゃんは担当以外のときでも笑顔で挨拶してくれたし話しかけてもくれた。

基本的に人懐っこいのだろう。

看護婦さんはホント大変な仕事だ。

日々、昼夜関係なく交代で勤務しているし定時になって交代しても即帰るわけでもなく残業もしてるようだ。

患者との対応だけでなく書類整理などで


「仕事がなかなか終わんないんです~」


と笑っていたが本当に頭が下がる。





でもぶっちゃけ、看護婦さんが優しくて可愛いと元気がでるね(笑)。

死を宣告されたガンセンターなどのホスピスには美人の看護婦さんが多いと聞いたことがある。

少しでも長く明るく楽しく生きていたいし、メンタル的にも痛みを和らげる手助けにもなるのだろう。

女性はどうなんだろうね。

柏原崇似の看護師ばかりだったらうれしいのかな(また「検索」引っかかるな・爆)。

そういえば前にテレビでみたが痴呆のおばあちゃんが介護士の若い兄ちゃんと話しているうちにボケが治っていったと言う話があった。

やはり老いても異性への興味は絶えないということか。

と言うよりもそれが生きるカテなのかもしれないね、やっぱ(笑)






久々の若槻ちゃんの担当の日。

熱や脈を測ってもらい楽しい会話をしようと思ってたら、


「ウィ~ス」


と男の声。嫌な予感。

カーテンを開ける。ヒゲおやじ。




石川だ(爆)。



「あ、お見舞いですね。じゃあ、高橋さん。また」


と病室を出て行く若槻ちゃん。



「あ、あぁぁぁぁ~」


と俺。


石川さん、ニヤニヤ笑いながら


「おじゃまだったかな(ニヤニヤニヤニヤ・・・)」






・・・・・やられたよ。

石川さんのようにエロ道を極めるにはまだまだ修行が足りないようだ(爆)。




つづく


リハビリ  2005年06月14日
久々の病院ネタです

しかし、今回は可愛い看護婦も美人女医も出てきません(笑)。

リハビリについてです。


歩けるようになったのでそろそろ左腕もリハビリで少しづつ動かしていこうと医師に言われリハビリステーションへ。

そこでは結構、足を折った人とかが多く歩くためのリハビリを受けている人が多かった。

自分は足は問題ないのでその点はよかった。

担当のリハビリの先生(技師)は自分より若いんじゃないかなって感じの青年。

左腕を動かす。やはり痛い。

鎖骨を折っているというのもあるが2、3週間動かさないだけでも人間の身体と言うのは硬くなってしまうものなのだな。

少しずつ動かしていくしかない。動かさないと更に固まってしまうようだ。
(6月現在でもまだまともに完璧には動かない)

リハビリは左腕のみ。左手、左指はまだ金具が入ったままだし、まだ動かしてはいけないとのこと。
先は長いな。

毎日少しずつやっていくしかない。



リハビリ何日か目に専門学校の生徒が見学に来て、実習材料に使われた(爆)。




(つづく)

そして病院を去る日  2005年06月22日
病院ネタいよいよ終わりが見えてきました。


2月末、リハビリも順調でそろそろ「退院」と言う話も出てきました。

病院内を寝巻き姿でフラフラしてはいたがちゃんと服を着て外を歩くことなんて出来るのでしょうか。

外は2月。相当寒いらしいし。

ここの病院は事故現場近くの救急センターのある大学病院なので退院後は家の近くの病院に転院し通院とのこと。

順調に治ってきてはいるようなのでなんとかなるだろう。

しかし、退院とはうれしくもありますがお世話になった看護婦さんや先生方、美人女医やリハビリの先生などと別れると思うとやはり一抹の寂しさがあります。


「もう二度と戻ってくるんじゃねえぞ」


と送り出されるのでしょうか(笑)






そして、3月5日。退院の日----

朝、若槻ちゃんに会いました。一番お世話になった人なので会えてよかった。


「今日退院ですね、高橋さん。よかったですね!!」


と笑顔で話しかけてくれました。


「本当にお世話になりました」


と礼を言うと、


「そんなことないですよ~」


と最後まで最高の笑顔で接してくれた。





昼。色々荷物などを片付けて私服に着替える。
左肩がまだちゃんとあがらないので小さいTシャツなどは着れない。

これからシャバに出てまっとうな人間として生きていけるのだろうか。

不安がないわけではないが一歩ずつ踏み出していくしかない。

早く、映画の現場に復帰し、現場や上映会の後、旨い酒を仲間と飲む。
それを楽しみに全細胞に指令を送り回復することだけに専念してきた入院生活。

それも終わりを迎えようとしていた。

だがまだ全快ではない。ここからが復帰の第一歩なのだ。

病室を出る。

最後の挨拶にナースステーションに顔を出す。

残念ながら若槻ちゃんはいなかった。

ナースステーションには石原さとみが一人書類を書いていた。


「今から退院します。色々とお世話になりました」


と言うとなんか凄く照れて顔を下に向けたままニコニコ笑っていた。

やっぱり照れ屋な子だったんだな(笑)。





2月1日に救急車で運ばれて来て以来、久々の外へ出る。

やはり寒い。シャバの空気は冷たい。

若い衆が出迎えに・・・は嘘だが(笑)出口に用意されていたタクシーに乗り込む。

久々の外界。

左手はまったくまだ動かないし腹の傷も違和感を抱えたままだ。
この先、どうやって生きていけばいいのだ。

冷たい風が頬を伝う。

まあ、一度死んだ身。あのとき死んでいたらアレで終わり。

事故後の人生はおまけ。儲けモノ。しかも、車椅子とか寝たきりとかになったわけでもない。
本当に儲けモノだ。

走り行くタクシーから病院を見上げる。

少しずつ病院が遠ざかっていく。

「救命救急センター」や「一般病棟」でお世話になった人たちの笑顔が走馬灯のようによぎる。
もう二度と会うことはないだろう人たち・・・










「本当にありがとうございました」





(つづく)

退院・その後  2005年07月04日
病院ネタは「通院篇」に移ります。

病院ネタはカテゴリーの「事故」をクリックすると最初からさかのぼってまとめて読めますよ~~

「高度救命医療センター篇」「一般病棟篇」など最初から読んでいくと段々人間として復活していく様が見れて楽しんでもらえるのではないかと思います。

今回からは「通院篇」が始まります。と言ってもあまり書くことないんだけど(笑)



3月6日に退院。
自宅近くの病院に移り通院しながらの自宅療養。

久々の家。一ヶ月ぶりか。これでまともな人間として生活が出来る。
「豪快エロ坊主」の編集頑張らねば・・・

しかし、ううむ。病院と違って貧乏煎餅布団は身体に痛い。

それに飯はどうすんだ?
いままで可愛い看護婦さんが持ってきてくれてたのになあ。
一人ぼっちだよ~~~(ToT)

外食も高くつくしコンビニ弁当かいのう(泣)

横になった姿勢から自動ベッドを使わず右腕と弱い腹筋で起き上がる。
まだ少しきつい。
でも少しずつ、慣れていかんとな。

病院は助かったことに自宅から歩いて5分ぐらいのところ。

病院では消毒をしたり、たまにレントゲンとったりする程度。
リハビリはない。

左腕はまだまともに動かない。
肩のリハビリはひとりでやっていくしかないようだ。

左手の金具が取れるのはいつか。金具を取らないと左指のリハビリはできない。





・・・看護婦さんもおばさんばかりだし(爆)


まだまだ試練の日々は続く・・・



(つづく)

左手の金具を取る  2005年07月10日
3月中旬---

傷を消毒しに行っていた病院で先生からレントゲンの結果、そろそろ左手の金具を取ってもいいだろうと言われる。

というよりも骨はまだ完全には復元していないがそろそろ取って動かさなければ左手が固まったままになるとのこと。

左手の中指、薬指、小指の骨が折れていて金具で補強しているわけだか半分から突き出ているので見ていてイタイタしいし金具に触れると骨まで響いてこれがなかなか痛い。

そこからばい菌が入ったら骨までばい菌が入り大変なことになるらしく常に消毒をしていたのだ。

指の骨折の場合、このやり方はかなり古いやり方のようで最近はもっと技術も進んでいて別なやり方があるらしいのだが自分の場合、骨折だけでなく内臓もやられていたのでそっちの手術を優先せねば死に至っていたということもあり一番簡単な早い方法で処置されたようだ。

しかし、金具を取るってどうやって取るんだ?

麻酔とかするのかな?

注射は痛いのう。

とか、考えていたら先生がいきなり、ペンチを取り出し自分に近づいてきた!!


え!? まさか、そのまま、ソレで抜くの???


思ったとおりそのペンチで麻酔もせずひっこ抜くらしい・・・

でも、結構ちょこっと当たっただけでも骨に響いてかなり痛かったんだぜ。

それをペンチで抜くってアナタ!!!


「いや、大丈夫だから。大丈夫だから」


と近づいてくるペンチを持った整形外科医。

後ずさりする自分。

それを後方から押さえる看護婦ふたり。

近づいてくる医師の口元は不敵な笑みを浮かべている。

看護婦に左手を押さえつけらる。もう逃げ場はない。






スポッ!



抜けた。
痛くなかった。

続けて、

スポッ、スポッ、


三本とも抜かれていく金具。

意外に思ってたより痛くなかったよ。て言うか、全然痛みはなかった。






そして取れた金具がこれだ!!!


一度人体に入ったモノは個人の所有物になるらしく持って帰れと言われた。

記念に写真を撮ってみました(笑)


しかし、こんなのが手から突き出てたんだからどうしようもないね。





衝撃!! 再現画像!!

こんな感じでした。





抜けてすっきりしたよ。

でもまだまったく動かない。曲げようとしても動かないってのは不思議なものだ。

曲がるようになるのか、少し心配。

少しづつ、風呂などで自分で曲げてリハビリしていくしかないようだ。

完全復帰への道のりは続く・・・






つづく
vs02.jpg

3月20日に「シネマドッグVSシネマ愚連隊」と言うイベントが開催された。


何故、今頃、3月に開催されたイベントのことを書くのかと言えば、事故によって中断していたプログを再開したのが4月1日。
その前のことで、しかも、このことは「上映イベント」のカテゴリーではなく「事故」のカテゴリーに書かねばならないと思い今まで書いていなかった。

「事故ネタ」番外篇と考えていただければよいだろう。


実はこの3月20日は本来なら最新作「豪快エロ坊主」のお披露目上映会の予定であった。

しかし、自分が2月1日に交通事故により瀕死の重傷を負ったのでそれが出来なくなり代替上映会として催された。

事故にあって自分との連絡がパッタリ、途絶えたときは「豪エロ」スタッフはかなり戸惑ったようだ。

なんとか旧掲示板などを通じて


「高橋は瀕死の重傷を負い生きてはいるが今はICUに入っている」


という情報を得、3・20をどう乗り切るべきがかなり考えてくれたようだ。

そして2月の10日過ぎに一般病棟に移ったとき、即、スタッフは見舞いに来てくれ3・20をどうすべきかそういう話をしてくれた。


一方、師匠である吉本昌弘氏も自分がICUに入っているときは


「もしや死ぬのでは?」


と大変心配してくださったようで一般病棟に変わったときはかなり喜んでくれた。

そこでスタッフの提案もあり、師匠の吉本さん率いる「シネマドッグ」の作品と「シネマ愚連隊」の旧作を上映しては?との話になった。

吉本さんからも「主催として全面協力する」という心強いお言葉を頂き、3・20は


「シネマドックVSシネマ愚連隊」


というイベントを行い、吉本監督の「PINKY」と自分の「痛快エロ坊主」の上映を行うことになった。

自分はずっと、病院だったので「豪エロ」スタッフと吉本さん率いる「シネマドッグ」の皆さんが準備を行ってくれた。

大変感謝する。

3月の5日に退院したことで3月20日のイベントへの自分の舞台挨拶参加も決定しある意味、事故後、初の公の場に出ると言うことになった。




そして。当日。

久々の外出。左手の金具は取れたばかりだったので見た目にはまったく普通の人間だ(笑)。
正直、何度も上映している「痛快エロ坊主」の上映でお客様が来てくださるのか、心配だった。

しかし、その心配をよそに開場後、たくさんのお客様が来て下さった。

上映作品の「PINKY」と「痛快エロ坊主」をすでに見てくださっている人たちもわざわざ駆けつけてくれた。

「お見舞いに行けなかったので監督の元気なお姿を拝見しに来た」

と言ってくださった方も多くいた。

ご来場ありがとうございました。そして本当にご心配おかけいたしました。



スタッフの頑張りによってイベントは成功。
自分もなんとか舞台挨拶をこなせた。


その後、打ち上げ。

しかし、さすがの自分も久々の公の場と言うこともあり、かなり、疲れていた。

腹が痛くなった。

入院生活が長く運動していなかったせいか腹がでてしまい、ジーパンのウエストがかなりきつくなっていたのが原因だ(笑)。

ジーパンをこんなに長い時間履くのも久々だったしなー

立ったり、座ったり、便所にいったり、外の空気を吸いにいったり、色々したが気分は悪いまま。

しかし、せっかく、スタッフが頑張ってやってくれたイベントの打ち上げなのに参加せずに早めに退散することは自分的には出来ない。

だか、打ち上げ会場にて横に座っていたカメラマンの岸野さんや他のお客様方に


「監督、顔が青いですよ。大丈夫ですか?」


となんども言われ、逆に気を使わせてしまった。

さすがに10時半頃退散することにした。

「豪エロ」スタッフや松本航平さんをはじめとした役者陣、そして吉本師匠もかなり心配してくれた。
そしてみんなで送ってくれた。





自分は本当に幸せ者だなあと感じた。
皆に本当に支えられて活動できてるのだと。





西武線を待つ、ホームで一人、涙が目に沁みた・・・





つづく

怪我人、酒を飲む  2005年07月28日
事故ネタです。


3月下旬。
左手の金具を取り、「シネマドッグVSシネマ愚連隊」のイベントへの参加もこなし、順調に回復してきつつあります。

金具を取った傷口も消毒をし、ちゃんとふさがってきました。

病院の先生の方から


「リハビリをしないと手が固まったまま動かなくなってしまうので転院してもらう」


とのこと。
ここの病院には外来用の「リハビリ科」がありませんでした。

と言うことでまたもや転院。

今度は家からちょっと歩くことになる小さな病院ですがまあ散歩にはちょうど良い距離です。

ここの病院ではリハビリと言っても入院していたときのようなリハビリの先生がいて腕や指を動かしていくと言ったようなリハビリでなく電気治療みたいなものです。

(ここの病院へは7月現在も毎日通院中)




そして術後の検査のために入院していた大病院へもいきました。

内臓の方はすこぶる順調。ほぼ以前と変わらない状況だそうです。

外科の先生にそれとなく「酒は飲めるのか」と聞くと「大丈夫ですよ」と許可が出る。
おお、これで酒が飲めるぞ~~~

「外科がイイって言ったんだからいいよな。あえて整形の方には聞かずとも」

という勝手な判断でアルコール解禁といたしました(笑)。

おお、約2ヶ月ぐらい酒を飲んでない。では、早速・・・

と、役者の松本氏へ解禁報告。

そうすると役者連中で「全快祝い」をしてくれるとのこと。

全快ではないんだけどね(笑)。ま、いいか。



3月27日。
久々、楽しい酒をみんなで飲みました。
でも、いきなり、焼酎はまずかったかな(笑)


追記・・・

事故ネタもそろそろリアルタイムに近づいてきました。



リハビリの病院に転院してから4ヶ月。
毎日同じ治療を現在も行っております。



電気治療。
よく野球選手とかがやってるアレですね。




コレ↓
050513_180431.jpg



なんか正直、コレが効いてんだか効いてないんだかよくわかりませんが続けるしかありません。

コレをやって自宅で左手を曲げていくこと4ヶ月。
まだ完全ではありませんがまったく曲がらなかった指も手もなんとか曲がるようになりました。





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でもまだ完全ではありません。続けていくしかありません。

あと、鎖骨もまだ金具が入ったまま。
9月ごろ取るのではないかと思います。





次回からの「事故ネタ」は「実録リアルタイム篇」となります。
まだまだ「事故ネタ」続きますよ~~~ お楽しみに(泣)




つづく
金具を抜き取る2  2005年09月26日
久々の病院ネタです。

電気治療のリハビリにはほぼ毎日行っております。
撮影中もリハビリ行ってました。
平日は昼から深夜(早朝)までの予定が多かったので朝リハビリに行ってました。

9月の中旬ごろ、


「鎖骨の金具を抜こう」


と医師より言われたのですが撮影が終わるまで待ってもらいました。

今回は指の時とは違い体内に完全に埋まっているのでメスを入れて抜き去らねばならないので撮影前や撮影中にやるのは大変だし打ち上げの酒が飲めないとなったら洒落にならんので(爆)アップ後に抜いてもらうことにしたのです。


で、本日26日。
金具を抜くのはリハビリの病院ではなくその前に行っていた総合病院。
早速、今から入院はせず局部麻酔でサクッと抜くとのことだが、


「痛かったらいってくれ。途中でやめて入院して全身麻酔で手術と言う形をとるから」


と宣告される。ひぇ~~~~~ 痛いんかいっ!!!

アレヨアレヨと言う間にベッドに寝かされる俺。


「キョクマ、キョクマ」


と看護婦とやり取りしている医師。
「キョクマ」って「局部麻酔」のことらしい。「ファミマ」みたいだなあ。と思いつつも緊張感が走る。


「痛てえ」


麻酔の注射がまず痛え。あとは痛くないのか。
麻酔が効くんだもんなあ。痛いわけないよなあ。


「麻酔も回りに効くだけで骨には効かないからねえ」


と医師。ば、馬鹿な!!

金具の位置を確認するため医師が触っているのがわかる・・・って麻酔効いてるのかよ!!!

何か押し当てられるような感覚。
どうやらメスで身体を切られたようだ。
切られた痛みはなかった。ちょっと強く押されたと言う感じ。
よかった。麻酔は効いているようだ。


「引っ張り出すから。痛くてがまんできなかったら言ってね。途中でもやめて引き抜かずまた縫い合わせるから。後日入院して手術ね」


え? 痛いのはこれからかいっ!!!

金具を引っ張り出そうとまさぐられる。








「うぇ、痛てぇ~~」


マジ痛かったす(ToT)
肉は金具に張り付いて成長しているわけだし骨にもこすれるわけだし。
早く抜いてくれよ~~ って感じだけど簡単には抜けない。
グリグリやられ、痛ててててててててててて。


「我慢できない? 我慢できなかったらやめるよ」


ここまでやってやめたらもったいない!!
入院なんてしてられるか。
「どめくら」編集も「空集合作品」の準備も2時間ドラマの脚本だってあるんだぞ。
それにコレぐらいでギブアップしてたら「漢」が廃る!!


「まだ、まだ、これからだ、これから!!」


と気合を入れる。

数分間格闘の上、無事金具摘出。







050927_114526.jpg

結構デカイのが入ってました。

しかし、痛かったなあ。
抜糸は一週間後とのこと。
二週間ぐらいは酒は飲めんかのう。




その足で「空集合」打ち合わせに行く。

考えたら一泊ぐらい入院して可愛い看護婦さんにお世話してもらえばよかった。
あ~あ、 失敗した・・・ _| ̄|○


術後の経過検診  2005年10月31日
久々の事故ネタ。

基本的に毎日リハビリには行っているわけだが術後の経過検診ということで総合病院の外科に行く。
総合病院は待ち時間が長いので撮休の今日にしたのだ。

やはり思ったとおりかなり待たされた。
その間、重傷患者の車椅子を押す看護婦さんたちを見ていると入院しているころ優しくしてくれた看護婦さんたちを思い出し、ちょっとウルウル来ました。
ホントあの時は肉体的にも精神的にも助けられたなと。

しかしよくココまで回復したもんだ。
寝たきりから車椅子、自動ベッドがなければ起き上がることすらできない身体、動かない左手、あがらない左腕。
完璧にもとの身体には戻らないけどよくココまで回復したもんだと改めて思う。

正直、左手の甲の間接は曲がりが悪くなった。
割腹した傷は引きつり気味で違和感はずっとある。
鎖骨に問題は感じないが肋骨はいまだに違和感があり時々ポコポコと音がなる。
くしゃみやセキをすると痛む。

外科でレントゲンで調べた結果、内臓は完璧に治っているよう。
破損した横隔膜も復活したようだ。
ポコポコなる肋骨はどうやら治らないようだ。
破損した軟骨がそのままでくっつかなかったらしい。
軟骨はレントゲンでは写らないらしく詳しくは腹をあけて調べないとわからないらしいがそこまでやるよりは「くっつかないまま生きろ」とのこと。
まあ日常生活には問題ない。
しかしもう柔道等激しいスポーツはできないので柔道家としては引退だ(笑)。

激しい肉体労働も出来ないので助監督もできない。残念ながら脚本家か映画監督になるしかないようだ(爆)。

「プチかたわ」となってしまったわけだが、まあ、生きてるだけ儲けモノ(「もうけもの」と打ったら何故か「盲獣」とでた・爆)。




今回、「サソリ座の怪人」でオーディションをしてある役に決まった役者さんが直後、交通事故に逢い、頭を打って亡くなった。

空集合のメンバーのお友達だったので空集合の人が棺に「サソリ座の怪人」の台本を入れたという。

カメラマンの風間氏が、

「彼のためにもいい作品にしましょう」

と言っていた。


「プチかたわ」でもなんでも生かされた人間にはやらなければならない使命がある。
とにかく、やるしかない・・・


リハビリは続くよ  2005年12月02日
久々の病院ネタです。


段々普通の人間には戻ってきましたがもうこれ以上は戻んないんじゃないのか? 肋骨軟骨もつかないって言ってたし。
前に大事故をした友人に「症状固定」ってのがあって「完治」はしないで「症状固定」(これ以上は治らない)となればもう病院に行っても意味ないと言われた。

まあ、日常生活には問題ない。

肋骨部分に違和感と左手の骨が完璧に曲がらずちょっと痛いぐらい。
利き腕の左がそんなことになったので固い瓶の蓋やよく締まったペットポトルの蓋が開けられないくらいか。

え、思いっきり日常生活じゃん(爆)。


まあ、もともと握力弱かったし、誰かに開けてもらえば済むことだ(笑)。




でもまだリハビリは続く。

「もう来なくていいよ」

とは医者は言わないのか?
判断が難しいところです。




そんなところ実は左肋骨を痛めたため寝返りをうてず2月から右側に向いて寝ていたため腰を痛めたのか右足の感覚がずっとおかしい。
麻痺とまでは行かないがしびれた感じで感覚がおかしい。
末梢神経がおかしくなっているのか。
それは退院してから気づいたことなのだが病院では放っておいたら治るだろうと言われていたがまだいまだ治らず。
特に夏は気にならなかったが冬は凄く足が冷たく感じる。

そのことをリハビリの医師に伝えると

「今日から右足もリハビリな」

とのこと。


さっそくいつもの電気治療だがいままでは肋骨と左手だけだったので座ったままでよかったのにベッドにうつぶせに寝かされ、看護婦さん(注・おばさん)にジーパンをずり降ろされ、






え、いや、今日のパンツはゴムが伸びてて・・・





ええっ! あの、パンツまで。




お尻見えてるジャン。




マジかよ_| ̄|○


腰から足にかけての電機治療が今日から始まったとです。




まあ、よく考えたら入院中はシモの世話までやってもらってたんだからなあ。
凄いことだ。





まだまだリハビリは続くようです・・・







テレビで

「軟骨形成にはカルシウムでなくグルコサミンが効く」

とやっていたので「グルコサミン」を買う



結構高かった。
貧乏人にはサプリメントにも保険適用してほしいね(泣)。

追記・・・

一周忌  2006年02月01日
昨年の今日死んでいたら今日で一周忌です(笑)。



交通事故を起こしたのは昨年の今朝の7時ごろでした。

いや、まあ、なんとか人間として復活できたわけですがあのときの寝たきり状態を思うとホント事故には気をつけなければなとつくづく思います。
自分も痛いし面倒だし人にも迷惑や心配かけるしね。

完全に元に戻るわけでもないし時々痛むしリハビリもまだ続いているし、で大変ではありますがなんとか生きております。




あのとき死んでいたらどうなっていたのでしょう。

自分はその瞬間でプツッと終わりなのかな。
それともあの世に行ったのか。

他の人たちはどう思ったのでしょうねえ。

「伝説の自主映画監督」になったのでしょうか。



いやだなあ、「伝説の自主映画監督」って(爆)。

しかもあの時点での遺作は・・・





「恐怖奇形人形」だし_| ̄|○



まあ、今死んでも「どめくら」たけど(笑)。
いつ死んでも同じか。



死んでたらネタにならなかったろうし笑いもとれなかっただろうからとりあえず生きてて良かった。

みんなの暗い顔は見たくないしね。




あ、死んでたらどっちにしても見れないか。





ザンスさんは石川さんから「事故で集中治療室に入ってる」との一報を聞いたとき、


「こりゃ死ぬな。映画ももう終わりだな。舞台頑張ろう」

と瞬時に思ったそうです(火暴)。





とりあえずまだ死にきれてないので生きているうちは頑張らねばなと思います。

応援よろしくお願いします!!

三途の川から三年  2008年02月01日
今日であの交通事故を起こしてから三年が経った。
焼肉食い放題やステーキ食い放題に行けるほど回復したことに感謝(笑)。


事故直後は内臓が大きく移動し呼吸困難、ヘタすれば心臓停止の可能性もあったわけでよく生還できたなと思う。
「おまえはまだ天上界に行くには早すぎる。修行が足りん」と三途の川で帰された意味を考えながら生きていかねばならないと常に思っている。


人間、いつ死ぬか本当にわからない。
とにかくやりたいことをやらねばならない。
そのためにはやらなければいけないこともたくさんある。


現在、今年の春公開予定の最新作『令嬢探偵★モロボシアイ』の手直し作業をしているわけだが作品を観ながら色んなことを考える。
作品はいつものごとくバカでマヌケでオーソドックスな笑える映画。
エロ坊主こと松本航平氏やザンスこと佐藤瑛一氏の大げさな芝居に何度も吹き出す。


この作品は公開作品で言えば20本目か21本目になるであろう作品。
この作品以降、撮影はしていない。
今年、40歳になったわけだが死ぬまでにあと何本映画が作れ、皆さんに見ていただくことができるのだろう。


色々、やりたいこと。書きたいもの。撮りたいもの。見ていただきたいものはたくさんある。
それを具体化していくためにはやらなければならないこともまたたくさんある。
試練も苦悩も多い。しかし、それをひとつひとつこなしていかねばならない。
「生きていくこと」と「映画をつくること」は同じだ。


とにかく前に進むしかない。
そのために三途の川から戻ってきたのだと思っているから。






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2月1日。
あれから10年が経った。

バイクで交通事故を起こし、死にかけた日から・・・


初意識不明、初救急車、初救命センター(初ICU)、初骨折、初手術、初割腹、初縫合、初寝たきり、初カテーテル、初おむつ・・・初物づくしでホント、死ぬかと思ったわいw
いや、ホントに死にかけたんだけど(笑)。

左手複雑骨折、鎖骨肋骨粉砕骨折、内臓移動(腹の内臓がすべて胸に移動)、意識不明の重体で、緊急オペ。
改造手術により、改造人間としてよみがえる。

目が覚めたら、寝たきり状態。酸素マスクに点滴のほか、謎の管が体中につながっていた。
チ○コにも管(尿道カテーテル)、おむつもさせられていた。洩らしはしなかったが、う○こしたいときには看護師さんに言って、洗面器みたいなもの持ってきてもらって、やって、拭いてもらう。
人として終わった気分。いや、改造人間かw

時間が経ち、歩けるようになり、色々と自分で出来るようにはなった。
が、腹の傷を見た時は愕然としたね。でかい真っ赤な毒々しいミミズが腹にへばりついてるようで。特殊メイクならはがせるけど、剥がせない一生残る傷。
退院してからすぐぐらいは、スーパー銭湯に行っても、ジロジロ人に見られると、ああ、見られてるなあとちょっと思ったりもしたが、最近は、なんであの人、俺のこと見てるんだろう?、あ、この傷かww てな感じで傷があることすらも普段は忘れてるぐらいになった。さすがに10年も経てば。

仲間にも迷惑をかけた。『豪快エロ坊主』の公開が決まっていて、編集の途中で、寝たきり状態になったので、公開延期。
代わりに過去作品で復活上映イベントまでやってくれた。


でも、あの事故によって生まれ変わった。改造人間として・・・いや、監督としても、人としてもね。
とにかく、やりたいことやらんと人はいつ死ぬかわからん。
いつか、やろう、じゃ、いつまでも出来ん。
そして、また事故でぽっくり逝くかもしれんし、生きてても今度は一生寝たきりになるかもしれん。
元気なうちにやりたいこと、やらねばならないことをやろうってね。

あれから、10年・・・俺はやりたいこと、やらねばならないことをやってきたのか。
出世もしてないし、たいして金にもなってない。でも、悩みつつも苦しみつつももがきつつも、やりたいことの為、やらねばならないことの為に、一歩一歩前に進んできたような気はしている。諦めることなく。

馬鹿と何度も蔑まれたこともあるこの人生、いや、馬鹿を承知のこの稼業w
行くとこまでいってやろうと思ってる。だって、どうせいつか人は死ぬし、いつ死ぬかもわからないんだから。






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