B級映画監督、髙橋亨の「シネマ愚連隊 Blog」へようこそ!!











カテゴリ別ログ_過去作品を語る
「恐怖奇形人形」  2006年12月22日
2003年の9月に撮影し11月に初公開した作品。
「恐怖奇形人形」と言うタイトルながらノリは市川崑監督の「犬神家の一族」をベースとし「女王蜂」、テレビの金田一シリーズ、原作の金田一耕助などの雰囲気を取り入れたパロディ映画で大笑いと言うよりは「ニヤリ」と笑っていただければと言った感じの作品。



「餓鬼ハンター」撮影後、一年と半年ぐらいのブランクを経て「そろそろ撮りたいなあ」と思っていたところに「R-1」と言う上映イベントへの参加を依頼され撮ったのがこの作品だった。
2003年当時はいわゆる東京ローカル自主映画が一番盛り上がっていた時期。シネマキャバレー、高円寺オービス、ネットの掲示板での交流、等々・・・2001年ごろから04年ぐらいまでじゃないかな。
そこで出来た人脈をスタッフ、キャストに巻き込み撮った作品が「奇形」の次の「ごくにん」そして「豪快」となるわけだが、そのはしりとなった作品とでも言おうか、なにわ天閣監督や水戸英樹(当時ひねき)監督にも撮影に参加してもらっている。






女優陣も豪華です。
自主映画好きなら誰もが知っている三坂知絵子さんと宮川ひろみさんの競演。






そのほかの出演者もかなりの芸達者が狂演(爆)
ザンスこと佐藤瑛一、上本聡、岡村多加江、三好昭央、西川方啓、村田啓治などなど・・・






山梨の民宿に2泊3日し大変楽しい撮影でした。
山梨ワインと馬刺し、ほうとう、帰りによった温泉、が思い出(笑)。







「痛快エロ坊主」  2005年10月14日
「痛快エロ坊主」。
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30分ぐらいの作品で「笑って」「泣ける」と言うある意味王道を行く作品。
だが、もちろんただのコメディーでなく「笑い」の部分ではバカテイストもあったりするので万人にウけるとまでは行かないが「妖艶 軽井沢婦人」等に比べればかなり許容範囲の広い映画だと思う。

「バカテイスト」の部分は意外に若い人の方が受け入れられやすい。
年配の方にはよく「せっかく良いドラマを見ていたのにぶち壊された」などと言う負の意見を頂くこともある。

クライマックスのバカテイストの笑いは「バラエティー」に近い。
その笑いをドラマ・映画に融合されてないと言うわけだろう。
しかし、その辺は若い観客の方は受け入れてくれる人が多い。
それは映画好きとかマニアとか言う問題ではなくまったく一般の若い人も含めて。
ある意味、実験、挑戦でもあったわけだけど自分としてはうまく行った方だと思っている。

思うに年配者は「痛快エロ坊主」と言うタイトルから昔のプログラムピクチャーそのものを期待してしまうのだと思う。
だから「コメディーであれアクションであれちゃんと作ってほしい」とか「もっとねちっこいエロを多くしてほしい」だのという意見が出てくるのだろう。

しかし、

そのまま作って「勝新」や「若富」に勝てるのか?
大金をかけて撮影所で作った当時の映画よりエンターテイメントとして面白いものが出来るのか?
所詮モノマネの域は超えないのではないか?
もっと、ある意味、新しい方法論で挑戦をしなくてはならないんじゃないのか?
いままでと同じことをしているだけでよいのか?
時代はもっとライトになってきているのではないか?
新しいテイストを求めているのではないか?

・・・等々、思うところは多い。


だが、いつもいつもバカテイストをやろうとは思っていない。
いままでだってそう言った変化球的作品ばかりでなく「紫ノ薔薇殺人事件」や「盲獣の女」と言った直球勝負の作品もある。
(残念ながらまだまだ傑作と呼べるほどの作品は作ってはいないが)


そんな中、今年「豪快エロ坊主」を作った。
「痛快」よりも更にエンターテイメント度が増し、更に「バカテイスト」も増えた。
「アクション」や「エロ」が「豪快」になったわけでなく「バカテイスト」が「豪快」になったので「バカテイスト」を「くだらない」と受け入れられない人には「痛快」よりも更につらい作品となったことだろう(笑)。
しかし、自分の挑戦はここでは終わらない。
まだまだやってやるつもりである(爆)。
怒られても反感を買っても指示してくれるお客様がいる限り。


その一方で直球型の作品もまた作っていきたいと思っている。
バカテイスト作品だけにこだわっていては全体が見えてこない。
直球を知った上での変化球だと思う。
「紫ノ薔薇」や「盲獣」で遣り残したことは多い。


今回撮影した「どめくら」や只今準備中の「サソリ座の怪人」は直球勝負。バカテイストはない。
「どめくら」は直球の笑いあり涙ありのエンターテイメント物であり「サソリ座」は笑いもほとんどないシリアス物。


バカテイストをやるにしろ、やらないにしろ、自分の挑戦は続く・・・






「痛快エロ坊主」な三人。
CIMG2728.jpg


初めて完成した監督作品は「快傑ドバット」というパロディものだ。

「快傑ズバット」というヒーロー物のパロディだかこの「ズバット」自体、日活の無国籍アクションのパロディなのだ。

更に自分はこの「ズバット」に「仁義なき戦い」を付け加えた。日活と東映のパロディという事か(笑)

チャチな特撮。無茶苦茶な設定。パロディ、バカギャグ、70年代B級テイスト。くだらないことを真剣にやる。そして勧善懲悪、痛快娯楽作。
この時点でもうすでに愚連隊テイストは確立されていたのだ(爆)




もともと監督志望ではなかった。

脚本家志望で高校の頃、仲間と映画を作ったときも監督ではなく脚本担当だった。

高校卒業後、映画がやりたくて8ミリ映画のサークルに入った。

先輩に自分の脚本を映画化してもらおうと脚本を書いて持っていったが


「自分の企画は自分で監督しろ」


と言われ仕方なく監督をやった。


もちろん失敗。

当然だ。映画のことなんて何もわかっちゃいない。自分の撮れる範囲も判らず長編の脚本を書いていたのだ。

何度も挑戦したがことごとく失敗。次々と水子のように生まれ出る前に死んでいく物語たち。

もともとこんな映像を撮りたいとか、こういう映像はどうすれば撮れるのだろう、なんて興味はまったくなかった。
こういう物語を映画でみたい。こういう話を映画でみたいと言うことしかなかった。

それから先輩の現場に行ったりして8ミリ映画の作り方を教わった。

本もよんだ。映画も見た。ビデオも見た。

カメラもライトも映写機もエディター&スプライサー(編集機)も買った。

少しづつではあるが脚本だけでなく監督ってのもまあまあ面白いかなと思い始めてきた。

しかし技術的なことは段々覚えていったが段取り的なものはまだまだだった。

だから必要以上に撮影日数がかかってしまい、日数がかかればかかるほど、役者失踪などの事件は耐えなかった。

何本撮ってもあともう一歩と言うところで「END」マークをつけることが出来なかった。





本格的に映画の世界を目指そうと上京することに決めた。

上京するまでにせめて一本ぐらい完成作品を作りたいと思った。

そんなある日、友人が


「面白いビデオ見つけたよ」


と「快傑ズバット」のビデオを見せてくれた。


「これだったら俺たちでも作れるんじゃないか。作ろうぜ」


と友人が言った。


上京まであと3ヶ月しかなかった。

少人数でも信頼のおける仲間だけを集め撮影を開始した。

監督はもちろん自分。

それでも分裂の危機もあったがなんとかクランクアップまで持ち込めた。

撮影済みのフィルムを持って上京。

編集後、帰郷しアフレコ。仕事で忙しいなか仲間は皆、集まってくれた。

そして我、処女作「快傑ドバット」は完成したのだった。



1990年------いまから15年も前のことだ。






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